【クライアントへの言葉=自分への言葉】


これは以前に、
あるクライアントさんから頂いたメッセージへの、
僕からの返事の一部。

 

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○○さん、
メッセージありがとうございます。

 

・アトピーが酷くなった。
・目やにが出るようになった。
・股関節に石灰が見つかり、痛みを伴うようになった。
・自分の内臓が弱い、弱っていることを自覚するようになった。
・今自分は自我が芽生えてきているかもしれないと自覚するようになった。

 

ということですが、まず、僕の意見としては、
症状がちゃんと出て良かったと思っています。

 

それが、身体の中で解消されず暴れまわり、
何年もの間ずっと、
不調を引き起こしていたものたちなので。

 

本当は出したいものを、
外からの力を使って無理やりに抑え込み、
そこにある感情や恐れと向き合えていなかったことが、
自分自身を苦しめている本質的な要因の、
一つではあると思います。

 

ご自身でも言われているように、
身体は「治りたい!助けたい!何とかできないか?」と、
常に最善を尽くそうとしています。

 

あとはそれに、
自分自身がどう答えるか?

 

今の状態から、
自分はどうなりたいか?どうしたいのか?

 

いま必要なのはシンプルに、
それだけなんじゃないでしょうか?

 

別に絶望しても、卑下しても、
言い訳しても、甘えても、
決めたことを出来なくても、
それはそれで構わないと思います。

 

というか、それをしたらいけないと、
どこかで思い込んでいることですらさえも、
知らないうちに自分で創り上げた、
「呪縛」のようなものなので。

 

人間なんて基本的に、
エゴがあって、欲があって、
ラクしたくて、嫌なことから逃げたくて、
それでも人から愛されたいと願う、
そんな生き物ですから。

 

僕も20代後半で、
仕事やめて家に引きこもって、
そのまま消えていなくなりたいとか、
どこか誰も自分のことを知らない場所に逃げたいとか、
このまま線路に飛び降りたらラクになるんだろうかとか、
いろいろ思った時期もありました。

 

今思うと、
それも自分に対する甘えや逃げや、
自分や人と向き合うことに対する恐れが生んだ、
防衛反応の一つだと思っていますけど。

 

ただ僕の場合、
職場で人が当たり前のように死んでいく、
そんな場面をみるのが多かったことが、
自分にとっては大きな、
経験と財産になっている気がします。

 

もう命が長くないという状態にある本人や、
その家族さんから話を聞いていると、
死を目前にしての恐怖はもちろんですが、
それよりも、
生きている時にできなかったことの後悔とか無念さや、
そう言ったことを強く感じる場面が多かった。

 

「もう、死というものが目前に迫っている」

 

という人にとっては、
この身体でとか、この性格でとか、
そう言ったことは一切抜きに、
生きれるなら生きたいし、
やれることはやりたいという想いがすべて。

 

言ってしまうと結局は、

 

「自分に対する覚悟」

 

がすべてなのかもしれません。

 

繰り返しになりますけど、
絶望しても、卑下しても、
言い訳しても、甘えても、
決めたことを出来なくても、
別にそれはそれで構わないと思います。

 

人間なんて、そんな強い生き物でもなければ、
誰もがみんな聖人君子でもないですし、
弱くて汚くてダメなところがあるのが普通。

 

それが当たり前で、そういうもの。

 

ただ、それも分かったうえで、
認めたうえで、受け入れたうえで、

 

この身体でもやるのか?
この性格でもやるのか?
この状況でもやるのか?
自分はどうしたいのか?
自分はどうなりたいのか?
自分はどんな答えを出すのか?

 

だけなんだと思います。

 

こうやって言ってる僕も、
今言っていることが出来てるわけでもなければ、
いつも恐れや葛藤や不安の連続。

 

めんどくさがりで、
できるだけラクしたくて、
結構ビビりなので。

 

でも、この自分で生きていくしかなくて、
そんな自分以外の誰かになることはできなくて、
それでもいろいろやっていくしかなくて。

 

結果なんて所詮は時の運。
自然の流れの中にある瞬間的なほんの一部。

 

自分の力はもちろんのこと、
それだけじゃない周りの影響も受けるものなので、
思うような結果になってもならなくても、

できてもできなくても、
それはただその時そうなったというだけのモノ。

 

そりゃあ結果が出る方がいいし、
出来た方がいいし、そうなるように努力はしても、
最終的に起こることはある意味、
自分のコントロールできる範疇外なので、
どうにもならないし、仕方ないもの。

 

起きたことは現実として、
ただ受け入れるしかない。

 

ただ、その時はそうだというだけ。
これから先もすべてそうなるとは限らない。

 

ずっと結果が出ないとか、
出来ないとかいうわけじゃない。

 

そもそも、

 

「次はどうなるか?」

 

とか、

 

「また同じ結果になるんじゃないか?」

 

とか、
そんなのは誰にもわからないし、
考えるだけムダ。

 

でも、

この身体でもやるのか?
この性格でもやるのか?
この状況でもやるのか?
自分はどうしたいのか?
自分はどうなりたいのか?
自分はどんな答えを出すのか?

 

は自分にしか分からないし、
決められないし、
誰にもコントロールされない領域。

 

自分なんてとか、自分に対しての悲しみが、
前に進むことへの足かせやジレンマになって、
自分を疲れさせてる要因の1つだとするなら、
それはそれでもう、
今の自分はそういうものだとスッパリ諦めて、
受け入れ、認めるのが先で。

 

あらゆる事に対して、
自分に許可をだすことが苦手だという、
そんな自分がいたとしても、
それでもどうするか?
どうなっていきたいか?

 

これまでの過去のことは抜きにして、
今の自分で何を考えて、
これから何をするのか?

 

人はその気になれば、
今の状況も症状も、起きてる現実も、
今からいくらでも変えることができるはずだと、
僕はそう思います。

 

アトピーだって必ず治りますし、
そのための手伝いなら、
僕のようなものにでも出来ると思います。

 

長くなってしまいましたが、
頂いたメッセージを読んでみて、
僕の意見や思いをお返事させて頂きました。

 

別にこれは僕の意見で、
これがすべてではないので、
改めて考える何かのきっかけになればと思い、
書かせて頂きました。

 

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確か2,3か月前のものだけど、
でもこれって、
結局は自分に対する言葉だなと。

 

人は相手を通して、
自分を視て、知って、感じて、
自分の中にある哲学や、
世界観や考え方というものを、
また再構築していく。

 

僕の施術というモノも、
自分だけで完結するモノじゃなくて、
相手がいて、自分がいて、
その関係の中で創られるもの。

 

結局は、
自分の中にあるものが相手に伝わるし、
それが相手からも伝わってくるだけ。

 

その体験を通して、
自分を視て、知って、感じて、
そこから得られたものをまた、
ただ相手に還元していく。

 

決まったパターンも、
法則もない。

 

だから、
終わりも、上限も、範囲も、
自分がそれを決めない限り、
なんにもないし、
なんとでもなる。

 

地に足をつけながら、
天に浮き上がる。

 

自我をどこまでも薄めながら、
意識をどこまでも高めていく。

 

言葉と感覚。
行動と意図。
具体と抽象。

 

テキトーで丁寧に、
ざっくばらんで繊細な、
治療しない施術家を極めるべく、
まだまだ道のりは長し・・・。

 

 

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