円の中心には、必ず点がある。
その点の定義は円の中心。
円が存在するから、中心の点がはっきりする。
円のおかげで点の存在が見えてくる。
コンパスで円を書こうとすると、
今度は中心となる点が決まって、そこから円が描ける。
点のおかげで円の存在が見えてくる。
「円が先で点が後?」
「点が先で円が後?」
「円のお蔭で点がある?」
「点のお蔭で円がある?」
うーん。どっちもありで、どっちも正しいよね。
『絶対こっちだ!』って決めつけてたら、思い込んでたら、
そこにあるモノや現象を、そういうものだとしか思えなくなる。
モノの見方、考え方、感じ方は人それぞれ。
全部違って、全部あり。どれが間違いとも言い切れない。
となると、それを引っくるめて「よく視る」ってことが大事だと思う。
そうしないと、これは正解であれは間違いとか、
これは良くてあれは悪いっていう風に最初から決め付けてしまう。
そうだと思い込んだままであまり深く考えずに、
本質を見ようとしないまま反射的に動いてしまう。
誰かが流した情報操作にコントロールされてしまう。
一つの現象に対する解釈や意味付けは、多角的で多面的。
そう思って、少し立ち止まって、
「ホントかな?」、「なんでだろう?」
を繰り返すと、今までみえなかった部分が見えてきたり、
そこに新しい価値や存在意義なんかも生まれてくる。
そうすると、自分の周りに拡がるいつも過ごしている世界や、
周りの人に対する見方も違ってくるはず。
ついつい、今までの習慣が自分の中に、
「当たり前」や「思い込み」っていうモノを自然と作り出す。
それはいつの間にか、自分の死角にピッタリと張り付いて、
影を潜めて付き纏う。
こいつを追っ払うのは、なかなか今の自分には手強い!
でも、前の自分よりは幾分か、
「待つ」と「視る」が少しづつ出来てきた気がする。
浮かんでは消え、消えてはまた浮かんでくる「想念」。
それに気づいて、葛藤して、また自分で考えてみる。
そんな経験を桁違いに積み重ね、体感する機会が、
半年前に始まって、今も絶賛継続中!
週末には、同じようなことを多くの人が体感する機会に、
今度は自分が傍から視ることになる。
そこでもまた、自分のことを深く知る場面が待っているはず。
どんな非常事態が巻き起こるのか?!
台風よりもやばいことになりそうな予感・・・。
その前にもう一回、開いとこっかな~♪
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