【自分の過去と思い込みを疑うことの先に見えるものは・・・】

19・20日と、ある合宿研修に参加してきた。

 

想い返せば、
僕が2年も続けて参加しているこの研修は、
毎度のことながらやってることはマジでシンプル。

 

でも、そこで得られるモノの奥深さやその価値は、
人生に与える影響の大きさという意味で見た時、
僕にとっては測り知れない。

 

わずか2日間だったが、
そこで得た経験値や自信は、
今後の自分の在り方を左右するほど。

 

自分で言うのもなんだけど、
またちょっと、
レベルアップできた気がする。

 

それもたぶん、
僕の中にいつの間にか蓄積し、
過去によって創り上げられてきた、
どうでもいい思い込みを破壊したから。

 

ホント、
自分を疑うことは必要ないけど、
自分が持つ常識や価値観や思い込みといった、
今の自分を型や枠に留める類のモノは全部、
一度は真剣に疑ったほうがいい。

 

そんなものは全部、
ただの昔話やでっち上げられた情報の集まり。

 

そこに今の自分の価値を決めるものも、
自分のこれからの未来を決めるものも、
なにも存在しない。

 

つまり、自分が今からどうするかと考える時に、
そんな類のものは別に関係ないしどーでもいいわけで。

 

この世界のルールも、
常識も、教育も、医療も、
見事なほどまでにねつ造され、
誘惑だらけの支配に溢れた、
ウソとまやかしだらけの薄汚れたこの世界。

 

そんな世界だからこそ、
ちょっとぐらい誰かの役にたてる、
あなたと会えてよかったと感じてもらえる、
そんな存在でいたいじゃないの?

 

だったら、今まで通りじゃ無理。
過去や根拠や、
実績に縛られてたんじゃ無理。
世間や常識やルールや、
正しさなんかにまとわりつかれてたんじゃ無理。

 

それが「今」をおかしくする元凶だし、
それが、自分に本来あるはずの、
「自信と武器とエネルギー」を奪うものだから。

 

「生きながら死んでる」ような場合じゃない。
「どこにもない答え探し」で彷徨ってる場合じゃない。

 

自分は何者?
何のために、誰のためにここにいる?
そのために今、何を感じ、何を考え、何をする?

 

なんとなく生きて、
どこかにありそうな答え探しをしてることに、
何かおかしいとそろそろ気づいて、
嫌気がさしているんだったら、
とりあえず、これを読んだらいい。

 

「親は100%間違っている」 長倉顕太 著

 

くだらないテレビや芸能ゴシップやらに、
自分の感性を犯され骨抜きにされるのが嫌なら、
さっさと手に取ったらいい。

 

ただ、現実を直視するのが嫌で、
このまま誰かや何かに、
永遠に支配されながら生きる方がラクって言うなら、
読まない方がいい。

 

それなら、知らない方が幸せだから。

 

たぶん分かるよ・・・。
あなたの中も外も、
いろいろヤバいってことが。

 

でも、自分を変え、周りを変えたいなら、
知らないと一生無理だから。

 

知ることを選択するのか。
知らないままでいることを選ぶのか。

 

これって、
人生の大きな分かれ道じゃない?