先日、とあるクライアントXとの施術で。
X「1年くらい前から急に、首から肩にかけての範囲だけ、
肌荒れがひどくてアトピーみたいになったんです。」
こんな訴えが、初回施術での会話の始まりだった。
僕「そうなんですね。何か心当たりとかってあります?」
X「んー、特にこれと言って思いつかないです。」
あーでも、そういえばその頃って確か・・・。」
僕「なんですか?」
X「あっでも、全然関係ない話なんで、いいです。」
僕「そうですか?また話したくなったら言ってくださいね。」
初回はそんな感じ。
全体的にいろいろとチェックした後、いつものごとく「治る力」を解放し、
デトックスから図ってみた。
約3週間後の、2回目。
X「最初はかゆみがかなり出ましたけど、2日くらいで治まりました。
肌もだいぶ良くなってきて、薬は止めてます。」
僕「そうですか。よかったですね!
でも、なんで急にそんな感じで出てきたんでしょうね~?」
X「仕事が忙しいから不規則にはなってますけど、
その分食べ物とかは割と気を使うようにしていていますし。」
僕「あ、ちなみにですけどデトックスって、
別に外から入ってくる悪いものってだけじゃないですよ。
例えばめちゃめちゃ怒ったりとか、すんごくショックだったりとか、
そういう中から生まれる感情やストレスも含めて、
よくないものを出すことなんで、食事に気を付けていても出ますよ。」
X「・・・・。」
僕「どうかしましたか?」
X「この前、あまり言いたくなかったから言わなかったんですけど・・・。」
僕「言いたくないなら、別に言わなくていいですよ。」
X「でも、今の聞いて、なんか腑に落ちたんで・・・。」
僕「何かあったんですか?」
X「1年ちょっと前の話にはなるんですけど、
仕事のパートナーで信頼していた人に裏切られて・・・。」
僕「ちょうど症状の出る前くらいの時期ですね。」
X「そうなんです。その人のことをずっと信頼していて、
でも、ある日突然いなくなっちゃって。」
僕「急にですか?何か理由があったんですか?」
X「その頃は何もわからなくて、ただ裏切られたと思ってました。
怒りとショックでわけが分からなくなって、
それでも一人で仕事をなんとかしないとダメだったんで、
必死でしたけど・・・。」
僕「大変でしたね。」
X「それから3、4カ月後くらいから、今の症状が出たきたような気がします。」
僕「そうなんですね。今はそのことをどう思ってるんですか?」
X「忘れたつもりでいましたけど、さっきのお話しを聴いて、
実はずっとその感情をどこかで押し付けてたように感じます。」
僕「そうですか。じゃぁ、ちょっとその辺りを紐解いてみましょうか?
お話を聴きながら同時に身体の反応も診ていって、
頭の中と身体の両方を一緒にやっていきますね。」
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とまぁ、こんな流れに。
カウンセリングしながら脳みそと内臓の状態を整えていくと、
その日と次の回でかなり状態は変化していって、
当初の症状もほぼ分からなくなっていった。
いろんな人の施術をやってみて思うこと。
身体ばかりにマニアックな治療家や
メンタルばかりにフォーカスを当てるセラピストは、
自分の知っている世界観の中だけで相手を捉えようとする。
そのちっぽけな狭い世界の中だけで、
なんとか無理やりになんらかの結論をつけ、
自分が安心を保てる得意な枠の中だけで、
目の前の現象を分かった気になりたいと思ってしまう。
少なくとも、僕はそうだった。
でも、どちらかだけを見ていても、
本質は一向に見えてこないこともある。
だから僕は、何度も間違いを犯した。
今思えば、なんともお粗末で器の小さい世界。
でも、そのおかげで見えてきたものがある。
どっちかだけしか見れないままの自分だったら、
たぶんこのクライアントの問題は、
紐解けなかっただろう。
というか、症状を抱えている本人は、
過去の人間関係に不調の始まりが潜んでいるなんて、
自分では気づけない。
しかもそれが、しばらくたって忘れたころならなおさらだ。
クライアントからすると、
そんなことは今の症状や悩みとは関係ないだろう。
そう思いこんでいて、本人自ら訴えることは少ない。
だからこそ、こちらの視点を上げる。広げる。深める。
そういった姿勢で考え、確かめるしかない。
じゃないと、そこに隠れたヒントやつながりを見落としてしまう。
「見えないものを見ようとする」
「不確かなものを確かめていく」
その繰り返し。
結果が出ないことももちろんあるが、
それは甘んじて受け止め、
次にもっといいものを創り出せるよう、
価値を提供できるように取り組むこと。
思考力を高め、行動力を引き出し、あとは継続。
今やっていることも全部そう。その繰り返し。
トコトン考えて淡々とやる。ただ、それだけ。