今日も都内で施術中。
ここ最近、痔の悩みでお越しになった人がいる。
その方は初対面で、詳しい状態なんてもちろん知らない。
インターホンが鳴り、ドアを開け、
玄関の向こうに立っていた様子から、
不安や緊張、重さや固さが見て取れる。
中に入ってもらい、椅子に座って会話を始めるが、
お尻の部分に体重をかけると痛みが出るので、
それを避けるような座り方をしている。
これまでの経過や、
そのほかのケガや病気などはないかを確認しながら、
痔についての経過を聴いていく。
流れとしては、
3年位前から痛みを自覚し始め、
1年ほど前からひどくなり、
そこから病院に通うようになった。
最初の半年ほどは、まず薬での治療をはじめ、
その後から外科的な処置をするようになり、
今は月1回のペースで通院し、処置を続けている。
やっていることはあくまでも、
本人との会話でこれまでの流れを把握するだけ。
直接的にお尻を見て確認するわけでもないし、
痛みもあるのでもちろん触りもしない。
そうやって相手の緊張や話し方、クセなどを見極めつつ、
今の悩みや状況を生み出している理由や、
その背景に見え隠れする本質的な問題について、
様々な観点から徐々に近づいていく。
やがて、今に至るストーリーが一つの線として繋がり始め、
そして、その時は訪れた。
あることに気づいた瞬間から、状況が変化する。
「あれ、なんだか痛みがなくなってきた・・・」
と、相手がつぶやく。
「あれ、ホントに痛くない・・・」
「こうやったら、さっきまで痛かったのに・・・・」
と、いつもなら痛くなるはずの座り方やお尻への刺激を、
何度自分で再現してみても、出るはずの痛みが出ない。
ここまで、約20分程度。
やったことは、ただ会話をしていただけ。
その後さらに、
一年前からひどくなった理由も判明する。
それも、お尻とは直接的な関係は全くないし、
本人もまさかそのことが、
自分の痔がひどくなったことと関係あるとは思ってない。
だから、最初はその話題が会話の中に出ることすらない。
でも、やがてそれも大きな理由の一つだと自覚する。
そしてまた、一段と痛みが楽になり、
痔の大きさ自体も小さくなっていると感じる。
そのうち、痛みは消えてしまって、
どんな座り方をしてもなんともなくなる。
ここまででトータル、約30分。
もちろんただ、会話をしていただけ。
何をやったかと聞かれたときに、
あえてそれを言葉で表すとしたら、
一言で言えばこうなる。
「いつの間にか出来上がり、本人でさえも自覚できていない、
症状や病の種を生み出す根深い認識の間違いに気づけるよう、
いくつかの要素から現状を分析し、
その関係性と繋がりを認識してもらった。」
となるだろうか。
本人はそのあと何度も、
自分で動いて痛みがないことを確かめながら、
その事実を前に驚くしかないという表情。
「こんなことってあるんですね」
という言葉に対して、
「そう、あるんです。どれだけ不思議でも、
その事実を認めるしかないですよね」
と、ただお伝えする。
確かに、そういう経験や認識がない人からすれば、
何かの暗示にかけられたんじゃないかとか、
うまく騙されているんじゃないかと思うくらい、
理解に苦しむ事実なのかもしれない。
でも、僕はもちろん何も、怪しいことはしていない。
いや、まったくしていないといえばウソかもしれないが、
決して騙したりごまかしたりしたわけではない。
同席されたご家族さんも、
横で一緒に話を聞きながらその様子をずっと見ていたので、
僕の身の潔白は証明できるはず・・・w
本人もご家族さんも、
今まさに身体を通して体感している事実を前に、
なんだったら、もう笑いだすくらい。
というか、
今まではなんだったんだと、笑うしかない。
でも、それが結果。
どれだけ頭で考えてすぐに理解できないものだとしても、
それがゆるぎない事実であることに変わりはない。
だって、
本人自身が身をもってそれを証明していて、
こうなるまで僕は一度も、
相手に触れてさえいないわけだから。
もちろん、これで終わりというわけではなくて、
その種が育ってしまう水や養分に当たる体内のエラーも、
そのあと丁寧に除去し、終了。
ここまでトータルで約50分くらいだっただろうか。
終わった後、
自分の身体の様子や感覚のありえない変貌に、
まるで自分の身体じゃないみたいだと、
新しい感覚に酔いしれる。
姿勢をよくしようと思わなくても、
自然と勝手に姿勢が良くなる。
悩みや不安ごとを気にしないようにしようとか思わなくても、
今まで気にしていたことが、そもそも気にならなくなる。
来られた時と終わった後で、
ホント別人になったんじゃないかと思うくらい、
表情も姿勢も動きも感覚もエネルギーも違う。
こういう経験をするたびに、思うことがある。
「治ると思っていない人は、どうやっても治せない」
これは、どんな問題の根底にも関わるもので、
確かにその通りだと思うし、僕もそこに異論はない。
だから、その人自身が、
「自分は治ることができる。良くなれる。」
と思えなかったり、意識できない限りは、
残念ながら僕にはどうにもできない。
もちろんこれは、あくまでも今の僕の考えであり、
この広い世の中には、たとえ今、
どんな状態の人であっても治せるという人が、
おそらくいるかもしれない。
そこから比べれば、
僕はまだまだ力不足ということになるし、
これが今の僕のレベルであって、それが現実。
ただ、
「今はどうしても治ると思えない」
とか、
「良くなるイメージが持てない」
という人に、
「自分はまだ治るかも・・・」
「今からでも良くなれるかも・・・」
という方向性へと舵を切らせられるかどうかについては、
セラピストや治療家の腕次第じゃないかと思う。
自分一人では気づけない、
どうにもできないという状況にある人に対して、
「治ると信じましょう!良くなれると自分に言い聞かせましょう!」
なんてことをバカみたいにどれだけ伝えたところで、
それが出来るなら相手は初めからそうしているだろうし、
それができないから今の状況になっているし、
今どうすればいいんだろうかと悩んでいるわけで。
だとすると、
今、相手が起かれている状況を先入観なくフラットに捉え、
相手の中にある認識や思考、イメージ像のズレや歪みなどを分析し、
それらを総合的に見て、そこに現れている不協和音を感じとり、
それを本人が腑に落とせるような形に置き換えて、
相手にフィードバックすることができれば、
それだけで相手の中にある改善へと向かうスイッチを押し、
良い方向性へと舵を切り替えることは可能なはず。
確かに、優れた技術やスキルも必要。
それがないと対応できない領域がたくさんあることは、
僕自身が目の前のクライアントを通して身をもって感じているし、
それによる自分の力不足を感じる場面は、腐るほどある。
じゃあ、
優れた技術やスキルがあればいいのかといえば、
まったくもってそうじゃない。
どれだけ素晴らしいテクニックや技を駆使しても治らない、
良くならないというケースだって、
この世の中にはこれまた腐るほどあるわけで。
「何もしなくても治るものは治るし、
何をしたとしても治らないものは治らない。」
そういう曖昧で不確定なものだということを前提にしたうえで、
・何がどう関係して今の問題を創り上げているか?
・今の状況を変えようとしたとき、それを大きく左右する要素は何か?
その視点から相手の現状を捉え、
掛け違ったボタンに気づき、それをリセットすることができれば、
あとは身体が持つ潜在的な治ろうとする力に委ねるだけ。
人の身体に備わっている、
自己を修復する治癒力以上の効果を出すことなんて、
今の僕レベルではどうあがいても、
残念ながらできやしない。
でも、
相手の中にある力を引き出せる状況さえつくれたとしたら、
たとえ僕のレベルが低かろうが、しょぼかろうがなんだろうが、
それとは関係なしに相手が良くなるためのきっかけになる。
スキルももちろんだけど、
そういった部分のレベルをもっと高めていきたいなと、
今日のケースを通して、改めて実感したわけで。
そこには正解も間違いもなくて、
ただ自分がどう意識して、どう捉えるかだけ。
何にもなくて、何でもありの世界。
抽象と具体を行き来しながら、
フラフラと、漂々と、波のようにその先へ。
<6月 大阪施術スケジュール>
場所:大阪市福島区 「福島駅」「新福島駅」周辺
※詳細はお申込後に改めてご案内させて頂きます。
日時:6/26(日)~27(月)
※詳細は申込みフォームにてご確認ください。
【お申込みはコチラ】→ http://form.os7.biz/f/c1a074f5/